台湾のプロ野球ファンたち:お久しぶり、正田樹さん
2014年3月、元ヤクルト(2012-2013)のサウスポー(左投げ投手)正田樹(ショウダ・イツキ)選手は台湾プロ野球のラミゴモンキーズ(Lamigo Monkeys)と契約した。4季ぶりの復帰で、先発として期待されて、今シリーズで正田選手は二桁勝利と防御率3.5以下の成績を挙げると思う。
正田選手の野球人生は、多くの曲折を経っている。1999年、彼は桐生第一高校のエースとして、夏の甲子園で優勝した。同年の日本プロ野球ドラフト会議で日本ハムから一位指名を受けて入団した。入団の三年目(2002)に、制球難を克服し、5月3日の対ダイエーホクース(今ソフトバンクホクース)戦で一失点完投でプロ初勝利をあげた。2002年に投球回156.2、9勝11敗、Era 3.45、三振数90、三振/四死球率は2.432の成績を残し、リーグ新人王のタイトルを受けた。
だが、2003年は怪我の影響があり、制球力が悪くなり、5勝15敗・三振/四死球率1.18・Era5.78の成績でシーズンで終えた。その後、正田選手の防御率はずっと5以上で、四死球率が高くてしまった。2007年3月に、金澤健人との交換トレードで阪神タイガースへ移籍し、2007から2008年まて一軍に登板はなく、二軍の投球成績もよくなく、2008年10月2日に戦力外通告を受けた。2009年は台湾に渡り、CPBLの球団の入団テストを受けて、興農ブルズのキャンプに参加した。
2009から2010年間に興農ブルズで先発として25勝11敗、324投球回と貢献し、2009年にリーグ最多奪三振のタイトルを挙げた。2011年はボストン・レッドソックスのマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加するが、3月29日に解雇された。その後に日本独立リーグの新潟アルビレックスBCへの入団が発表された。同年11月に東京ヤクルトスワローズと入団が合意し、NPBに復帰した。2012年から13年まて、ヤクルトの一軍に中継ぎとして39回登板、41投球回、防御率(平均)2.855、4ホールドを記録した。2013年の10月、ヤクルト球団から、戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加して、日本プロ野球チームからのメッセージがない状況に、台湾のラミゴと契約した。
2014年"ラミゴ"の正田樹の成績を予測する
興農ブルズ時期の正田樹は、強い奪三振を取り能力があった。彼の速球(140km以上)とスロ―カーブは落差が大きく、打者を惑わした。台湾のバッタにとって、正田のプレースタイル(左投げ、身長を利用してスロ―カーブを使う、135km~145kmの速球がある)は苦手なタイプと思う。過去の記録を予想の基準として、今シリーズに先発として、2ケタ勝利ができると期待される。
だが、多少不利な条件がある。一、CPBLでは、正田樹は外国人選手で、もっど厳しい競争に対して、調整の時間はあまり多くない。二、ラミゴの監督の戦術方針は、ピッチャーの投球量が多すぎる状況があり、体力の維持は重要な課題(ラミゴのファンたちは”最大の敵人がダグアウトにいっている”と言っている)。三、2009-2010年の時、正田は奪三振が多い、被安打率も高い投手だった。その二年間、彼の三振率は6.55と6.285、被安打率は10.87と9.048。もし、被安打率を低く抑えた方が先発として安定が出来る。
3月17日、正田はオーフン戦で先発し、3回を投球した。1回は制球難になり、1点を失ったが、その後にコートロールが安定した。3月23日、ラミゴのアウェイ試合で開幕ピッチャーがせめるが、7奪三振、2四死球、2エラ、6回3失点(0自責点)に挙げた、いいスタートと思って、ラミゴの正田いつきに楽しみる。
2009-2010年、正田樹の成績:
2009年
14w 6l
CG: 3
w-l%: 70%
17/158=0.1076
Era+ 5.279/4.44 118%
Era: 4.44
h/9: 10.87
hr/9 0.569
k/9: 6.55
bb/9: 2.16
so/bb: 3.194
Whip: 1.44
2010年
11w 5l
CG: 1
Hold: 1
w-l% 68.8%
Era+ 4.70/2.81 167%
Era 2.81
h/9 9.048
so/9 6.285
hr/9 0.487
bb/9 1.788
whip 1.24
so/bb 3.515
2014年正田樹の成績の予測:
10勝8敗、era3.50以下、三振/死球比率は3以上、Whipの数値は1.45ぐらい。